下校の時間、私はヘンリーと一緒に学校を出た。
貴子はいつも通り、校門前に止まっている迎えの車に乗り込み、帰っていく。
さすがお嬢様、何か特別なことがない限り毎日車での登下校だ。車の窓から私たちに手を振る貴子を見送ったあと、私たちは歩き出す。
門を出て、もう少し歩けば、龍が待っている路地に到着する。
それにしても……と私は思いふける。
教室から出る時の、あの女子の痛い視線が忘れられない。まあ、気にしていてもはじまらないか……。これから毎日なのだから。
私はふっと息をついて、ヘンリーへ視線を送った。ヘンリーは学校がとても楽しかったようで、ご機嫌な様子で私の隣を歩く。
私が思い悩む必要なんてどこにもなかった。
ヘンリーは、きっと一人でもこの世界でやっていけることだろう。
私と違って、人の懐に入り込むのが上手だ。いや、天然の人たらしか。どうやら、はじめに感じた私と似ているという感覚は、勘違いだったようだ。
どこか他人と違う自分。
他人と自分の間に線を引き、勝手に寂しく感じてしまう。そんな孤独を分かち合える人かも、なんてヘンリーのことを思ってしまっていた。
「流華? 元気ない? どうしたの?」
黙り込む私が気になったのか、ヘンリーが顔を覗き込んできた。
いきなり綺麗な顔がドアップになり、驚いた私は後ろへ退き間合いを取った。「大丈夫、ちょっと考えごと」
私は気持ちを読まれたくなくて、顔と視線を背けてしまう。
「そう? ……はい」
なぜかヘンリーは私に手を差し出してきた。
「な、何?」
「流華と手を繋いで歩きたい」ヘンリーの笑顔と共に、まっすぐな瞳が私に向けられる。
視線が交わったその瞬間、突然頭に痛みが走った。脳裏に映像が流れていく。
私は誰かと手を繋いでいる。相手は、またあの金髪の君……顔ははっきりと見えない。
しかし、すごく幸せな気持ちに満たされていることだけはわかった。 映像はその一瞬だけで終わってしまった。「どうしたの?」
ぼーっとしている私に、心配そうな顔をしたヘンリーが優しく声をかけくる。
私は気持ちを切り替え、微笑み返した。「ううん……大丈夫」
どこか、まだ夢見心地の気分から現実に戻されていく。
私は自然にヘンリーの手を取っていた。ヘンリーは嬉しそうに満面の笑みを向け、私の手をしっかりと握り返してくれる。
なんでだろう、手を繋ぐのは初めてのはずなのに……懐かしいと思ってしまう。
私は不思議な感覚に驚きつつ、ヘンリーを見つめた。こんな風に誰かと手を繋いで歩いたのなんて、何年ぶりだろう。
そういえば、あのとき以来だろうか。
私はハンバーグを口に運ぶ。 うん、なかなか美味しい。 ふと視線をヘンリーに移す。 さすが王子、食べる所作がとても美しい。 ナイフとフォークの扱い方が洗練されていて、動作一つ一つがマナーに乗っ取った貴族らしさを垣間見せている。 知らぬ間に見惚れていた私は、龍の咳払いによって覚醒する。 視線に気づいたヘンリーが嬉しそうな笑みを私に向けていた。 なんだか気まずい私は、視線を逸らし、食べることに集中した。 食べ終わった私たちは店を出る。 すると、ヘンリーが急にソワソワと辺りを見回しながら私に尋ねてきた。「ねえ、ねえ、なんでみんなあの小さい札に夢中なの?」 スマホのことを言っているらしい。 確かに世の中の人はあれに夢中だ。「あれはスマホ、もといスマートフォンと言って、あれがあれば情報は何でも手に入るし、買い物もできるし、遊ぶこともできる。何でもできる便利な道具だよ」 「ふーん。あ、ねえ、あれ食べたい」 切り替え早いな! もう別の物に興味が移っている。 ヘンリーが指差した先にいた人が持っていたのは、ソフトクリームだった。 どうしても食べたいというヘンリーのために、私はお店を探した。 店を見つけソフトクリームを買った私は、ヘンリーにそれを差し出す。 目を輝かせ、私からそれを受け取ったヘンリーは大きな口を開けてかぶりついた。「おいしい! 冷たくて甘くて、これ考えた人天才だね」 「そう、よかったね」 私はなんだか子守りをしている気分になってきて、あきれたように短いため息をつく。 ふと見上げると、映画の看板が目に入った。 そういえば、これ見たいと思ってたんだった。 話題になってる恋愛映画。好きな女優さんが出ているから気になってた。 最近忙しくてすっかり忘れてたな。 私がぼーっとその看板を眺めていると、ヘンリーが声をかけてくる。「どうした
その日、疲れた私は早々に眠りについた。 すると、また夢を見た。 またあの映像? 誰かと一緒に走っている。 必死に走っているせいで、二人ともかなり息が上がっていた。 手を繋ぎながら森の中を駆けていく。 後ろを振り返ると、どうやら追手が迫ってきているようだった。 私と一緒に走るのは、いつもの金髪の男性。 森を抜けるとそこは崖の上。 目の前には、闇に溶け込んだような黒い海がどこまでも広がっている。 ザァッと風が吹き抜けた。 私は隣の男性にしがみつく。男性も私をきつく抱きしめ返した。 頬を涙が伝っていく。 男性は私の涙を拭うと優しく微笑んだ。 そしてそっと私に口づける。 映像は靄がかかったように、だんだんと薄れていく。 これは何? 夢? 夢にしては、この前から同じ人物ばかり見ている気がする。 それに、なんだか懐かく感じるのはなぜ? だんだんと意識が薄れていき、私はいつの間にか深い眠りについていた。 今日は学校が休み、そう休日。 いつもなら家でゴロゴロするか、貴子と遊びに出掛けるのだが、今日は違う。 ヘンリーとアルバートがいつまでこちらの世界にいるかわからないけれど、長期戦になることも考え、こちらの世界のことを少し教えておいた方がいいだろう。 その方が私も心配しないでいいし、楽だしね。 そう考えた私は早速ヘンリーとアルバートを誘って出掛けようとした。 すると案の定、龍が「自分も行きます」と名乗りを上げてきた。 龍はヘンリーとアルバートのどちらのことも気に食わないらしく、睨みつけている。 いい加減、一緒に暮らしているのだから、仲良くしてほしいものだ。 まずどこへ行こうかなと考えていると、ヘンリーが楽しそうに発言する。「はい! 僕、お腹空いたから何か美味しいもの食べたいな。
これはちょっとやばいかも。 私は急いで止めに入る。「ねえ、その辺でストップ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」 「そうだよ、アルバートも流華のこと、悪く言ったら許さない」 私とヘンリーが二人の間に割って入ると、その場の空気が幾分やわらぎ始めた。 そこへ、ちょうど通りかかった祖父が顔を覗かせた。「おーおー、もう一人増えとるっ」 祖父は驚くことなく、嬉しそうにニコニコしながらこちらへやって来る。 何事にも動じない祖父はさすがというか何というか。 こういうところは、改めて大物だと感じる。いつもは忘れてるけど。「ご老人が、ここの主か?」 アルバートが祖父に尋ねる。「うむ、そうじゃ」 祖父が威風堂々と胸を張り頷く。 その姿には威厳があり、どこぞの王様のように見えなくもない。 アルバートは祖父の前にひざまずいた。「どうか、ヘンリー王子と共に、しばらくここに置いてはくださりませんか?」 「いいぞ」 え! そんなあっさり? あまりの承諾の速さに、私は驚きを隠せない。「有難き幸せっ」 アルバートが深々と頭を下げる。 即座に龍が祖父に抗議した。「いいのですか! こんな訳の分からない輩を、また」 「別に一人も二人も同じじゃ。ヘンリーもいい奴だし、こいつもきっといい奴じゃて」 龍の肩をポンと叩き、何度か頷くと祖父は去っていった。「ふむ、実に聡い方だ」 アルバートが感心したように頷いている。 龍は納得いかない様子で、しかめっ面をアルバートに向け睨んだ。 私は大きなため息をついてから、ヘンリーとアルバートを交互に見つめる。「もうこうなったらおじいちゃんの言う通り、一人も二人も同じよ。 いいわ、ヘンリーとアルバート、二人とも元の世界に帰れるまで面倒みてあげるわよ」 こうなったらとことん付き合ってやろう
風呂場から救出されたアルバートは、適当な浴衣を着せられ、空いている部屋へと運ばれていった。 龍が用意した布団に転がり、幸せそうな顔をして眠っている。 私とヘンリーと龍の三人は、布団ですやすやと寝むるアルバートを取り囲み見下ろした。「ヘンリー、説明してもらおうか?」 私がヘンリーを睨む。 ヘンリーは私の視線など気にも留めず、可愛くニコッと微笑むと語り出す。「アルバートはね、僕の執事なんだ」 「執事? はぁ、まあヘンリーは王子だもんねって、なんで執事までこっちの世界にやって来てるの?」 「さあ、なんでだろ?」 ヘンリーは不思議そうに、眠っているアルバートの顔をじっと見つめる。 そのとき、アルバートの瞳がカっと大きく開いたかと思うと、すぐにガバッと起き上がり、ヘンリーを見て叫んだ。「ヘンリー様! よかった、ご無事で!」 アルバートがヘンリーを抱きしめる。 ヘンリーは小さい子をあやすかの様に、アルバートの背中をさすっている。「アルバート、心配かけてすまなかった。僕はこの通り、元気でやっているよ」 「王子がいなくなってからというもの、生きている心地がしませんでした。 皆心配しております。早く帰りましょう」 アルバートは懇願するような瞳をヘンリーに向けすがりついてくる。 そんなアルバートを見つめながら、ヘンリーは気まずそうに頭を掻いた。「それが……戻り方がわからないんだ」 「……なんですってーーー!!」 アルバートはショックで固まってしまう。 それはそうだろう。 わけもわからず知らない場所へやってきて、帰り方がわからないなんて、絶望的だ。 それを楽観的に楽しんでいるヘンリーがどうかしているのだ。 私はアルバートに同情の眼差しを向けた。「でも、大丈夫。この流華が、とっても親切に僕のお世話してくれるから」 ヘンリーが懲りもせず、私に抱きついてくる。『あーーー!!』
「はあー、いい気持ちっ」 やっぱりお風呂の時間は最高。 ゆったりとお湯に浸かりながら、天井を見つめる。 一日の疲れが癒されていく瞬間。 今日は人生で初めて幽霊を見てしまった。 しかも幽霊と普通に会話をし、成仏までさせてしまうという非常事態。 この恐がりの私に、よもやこんな日が訪れるとは夢にも思わなかった。 でも……あのメイドの最後の笑顔を思い出すと、なんだか嬉しい気持ちになる。 成仏できてよかった。 それにしても、あのメイドって外国の人だったよね? なぜ、あの学校にいたんだろう? 謎だ……。 私は考え込み、顔半分を湯に浸した。 息を吐くと、お湯がブクブクと音を立て、湯の表面に泡を起こす。 ヘンリーには本当に驚かされてばかりだな……。 よくもまあ、あれだけあっさり幽霊のことを受け入れられるものだ。 あの何事も前向きに捉えられる性格は、ある意味羨ましい。 それに、また私、ヘンリーとキスを―― 思い出してしまった私は、湯舟の中でじたばたと暴れる。 きゃー、私ったら、何思い出してんの! 私が暴れたせいか、風呂の湯に泡が大きく目立ち始めた。 あれ? 私が動きを止めても、なぜか泡はボコボコと湯から湧き出てくる。 この展開は見たことあるぞ……。 私は嫌な考えにいきついてしまった。 その瞬間、お湯から突然人の顔がゆっくりと浮上してきた。 お湯の上にちょうど生首が浮かんでいるような感じ。 綺麗な銀色の長い髪がお湯の表面でゆらゆらと揺れ、その人物は銀色に輝く瞳を大きく開き、私のことを見つめている。「っひ……」 私は声にならない声を出す。すると、その生首がしゃべり出した。「……これはこれは。お嬢さん、どうもお邪魔します」 中性的な顔だったが、声は低く男性を思わせた。 その男性は、ニコリと爽やかに微笑んでくる。「い、いや
目をこすってから、先ほどメイドが立っていた場所に目を凝らす。 真っ暗な廊下を、月明かりだけが照らしている。 そこに彼女の姿はなかった。「いなく、なった……?」 「きっと、成仏したんだよ」 ヘンリーが嬉しそうに目を細める。「うん……そうだね。よかった」 私は愛想笑いを浮かべながら、先ほどのことを思い出す。 また映像を見た。 光が強くなった瞬間、目を閉じた私の脳裏に走馬灯のように映像が流れ込んできた。 それはメイドが見ていたであろう、王子と姫の姿。 二人が寄り添い、幸せそうに語り合う。 後ろ姿しか見えなかったけれど、確かに私とヘンリーに似ていたような気がした。 なんだか最近、そういう変な映像や夢をよく見る。 いったいこれは、なんなんだろう。「どうしたの? 流華、大丈夫?」 ぼーっとしていた私に、ヘンリーが声をかけてくる。「あ、うん、平気」 私は笑顔を見せたが、なぜかヘンリーはじーっと見つめてくる。「どうしたの?」 なんだか恥ずかしくなってきて、私はヘンリーから距離を取るため後ずさった。「また、キス、したいな……」 物欲しげな眼差しで、ヘンリーが私の唇を見つめている。「な、何言ってるの!? そろそろ帰らないと、みんな変に思うでしょ? 帰るよっ」 私はヘンリーを置いてさっさと歩き出す。 すると、突然ヘンリーが後ろから抱きしめてきた。 すぐ傍に彼の息遣いを感じる。 耳に息がかかり、私の背筋がゾクッと震えた。 これは世に言う、バックハグ! って言っている場合ではない。 私が狼狽えていると、ヘンリーが私の顔を横に向けた。 ヘンリーの顔がドアップになる。 しまった、またキスされる! そう思ったそのとき、「お嬢っ!」 遠くの暗闇から、龍が姿を現した。